猫と本に囲まれて

映画感想と読書と日記

【映画】名もなく貧しく美しく

名もなく貧しく美しく

コロナ渦で死を選ぼうとした私を助けてくれた映画

そして、自分が耳が悪いからと負けてはいけないと家を出る決心をくれた映画

竜光寺真悦の嫁・秋子はろう女性である。昭和二十年六月、空襲の中で拾った孤児アキラを家に連れて帰るが、留守中、アキラは収容所に入れられ、その後真悦が発疹チフスで死ぬやあっさり秋子は離縁された。秋子は実家に帰ったが、母たまは労わってくれても姉の信子も弟の弘一も戦後の苦しい生活だからいい顔をしない。ある日、ろう学校の同窓会に出た秋子は受付係をしていた片山道夫に声をかけられたのをきっかけに交際が進み、結婚を申込まれた。道夫の熱心さと同じろう者同士ならと秋子は道夫と結婚生活に入った。二人の間に元気な赤ん坊が生れた。が、二人の耳が聞こえないための事故から死んでしまった。

コロナ渦の中、聴覚障害がある私はこの映画を見て、目がつぶれるほど泣いた。マスクで隠された口元は私の生活を困難にしていた。

手話で生き生きと生きている彼らがうらやましくも、悲しかった。

私のまわりに耳の悪い友人も、家族もいなかった。

ただ、腫物扱いと慢性的な孤独にうめいていた。希死念慮に苦しみつつ生きてきた。

家族は私の存在を、いないものとしていた。

「お前には何も期待していないから」と、言い続け障害のない姉にすべての目線を向けていたようだった。

 

不思議なことに存在を抹消され、ただ一人で生きている私のほうが幸せそうだったようだ。姉には「あんたはいいよね、楽で」と言われたのを覚えている。

母にも「おまえはいつもにこにこして幸せそうで、腹が立つ」とも言われた。

 

実際は、自由も何もないし賃金のない家事奴隷のようなものだったと思う。

きちんとできなければ怒鳴り散らされ「こんなこともできないのか」と言われる。

それが私の人生だった。

 

私たちは一人では生きていけません。

お互いに助け合って生きていきましょう。

 

映画のこの言葉に涙が止まらなかった、地獄のような家から出られたらどれだけいいだろうか。最後までみて、秋子は自分に似ていた。

中途とはいえ発音の訓練をしたのだろう。私も五歳ぐらいには聞こえていなかったようだ。

秋子の姉と弟が家族に重なっていく。

何度も積み上げたものを奪い、まじめに生きることはしない。

「おまえのせいだ」と罵る。

 

自分と重なりすぎて苦しかった。

うまくいかないことはすべて私のせいだといわれるものの苦しみは味わったことがあるのだろうか。

必死で積み上げて生きているのを奪い去るその愚かさを知っているのだろうか。

 

二人の暮らしは貧しくとも幸せそうで、そこに行きたいと思わせる力があった。

一人では生きていけない、私は。

ただ、道端で朽ち果てるか生き延びるか選ぶ権利はある。

少なくとも、秋子の弟は盗みや賭博と障害のある秋子に迷惑をかけてまじめに生きることすらしない。

この人たちに私が劣るというならば、それは神が不完全な証拠だ。

私の障害関係なく、生き方の問題だ。

 

家を飛び出し、朽ち果てても尊厳のある死をと出てきて三年になる。

今、私は名もなく貧しく美しく生きていると胸を張れる。

 

愛する人たちと過ごしながら。

生きたい、と思わせてくれた映画である。これからも生きていく。

名もなく、貧しく、美しく。

私たちは一人では生きていけないから。