女として見られたい…
グロテスク
美貌の妹ユリコと名門女子高の同級生和恵。最下層の娼婦として孤独でセンセーショナルな死を迎えた二人を取巻く黒い魂のドラマ。
妬みを隠す語り手
手記のような形で話は進んでいく。
東電OL事件をもとにしているとは言われているものの重ねる部分はないかもしれない。
まずは美貌のユリコ、その妹の平凡な少女。そしてユリコの同級生の和恵。
ユリコと和恵について、語り手は批判的で辛辣につづっていく。遠目で見物していながらも馬鹿にしているような。女の醜さをよく見せてくれるのは、この語り手である。
ユリコも和恵も自分で選んだ道であり、語り手がいうような不幸さはにじませていない。ユリコは自分の人生の予測がついていたようだし、和恵は男性に相手にされることを心底求めていたようだが「承認欲求」は満たされることはない。
どこかでユリコの「美」と和恵の「醜」は同じものなのだと表現されるような。
語り手は妬み続ける
ユリコにも和恵にもならなかった語り手は、男性には近寄らずすべてを拒んでいる。
憎しみを胸に抱きながらも、男を否定し男に近寄らないように必死だ。男性とそういう関係になる覚悟もなければ、娼婦になる覚悟もない。それなのに、異常なほど「異性からみられるユリコ」への視線と「異性が下す価値」を執拗に観察している。
女には二通りいる。
妬む女、妬まれる女
哀しいことに、妬む女が妬まれる女にとどまることはない。若さは有限だから。
妬む女であったものが妬まれる女に代わることもある。異性と体を合わせる勇気を持ったときであろう。和恵もまた妬まれる女となった。それがどういう扱いでも踏み出せない人間にとっては、憎むべき行為なのだ。
グロテスクなのは、どちらなのだろうか。