「僕はやっていない」
ドラマ版「正体」
『正体』は、染井為人の長編小説。光文社から2020年1月22日に書き下ろしで単行本が発売された。2022年1月12日には、あとがきを増補した光文社文庫版が発売された。少年死刑囚の脱獄後の様子を描く。 2022年にWOWOWでテレビドラマ化され、2024年に映画版が公開予定。
ネットフリックスで視聴したものはドラマ版「正体」で主演は亀梨和也となっております。
映画版も公開されているようですが、今回はドラマ版より。
鏑木慶一は殺人犯として、死刑囚となります。(犯行の計画性とかいろいろ死刑になるには証拠が不十分すぎるので首をかしげましたがこれがのちほど真実につながります)
鏑木は脱獄し、正体を隠しながら生活をしていきます。
その中でも彼自身は変わらぬまま、皆が見た印象は同じです。
「あいつが人を殺すような奴には見えない」
ここで冤罪の可能性が浮かび上がりますが、指紋はきちんと凶器にありその場にいた証言者の言葉もあります。変わらないのは鏑木の性格だけです。
その性格は、人を殺しそうには見えないというもの。
小説版もあるとのことで一読したいなと思いますが、この事件の目撃者には涙が出ました。
私も似たような思いをしたことがあるので。
自分の証言をほんとうに信じてくれるだろうか、妄想だとか言われないだろうか。
証言よりも証拠主義の司法です。
それは痛いほど自身の人生でも痛感しました。
精神疾患を持つ人の中には自分が被害を受けた時に、それを隠す人もいます。
「信じてもらえるだろうか」と。妄想と言われないだろうかと。
そのような差別も浮き彫りにされたこのドラマはすばらしいと思う。
もし、精神的な疾患を抱えている人の「証言」はどのくらいきちんと考慮してくれるのか。またそのような人が、調査に入るときにメンタルは耐えられるのでしょうか。
解離性人格障害のビリー・ミリガン
こちらはビリー・ミリガンといわれる解離性人格障害に関する記録です。
複雑性PTSDにかかった人には断片的な解離が起きることがあります。記憶が消えてしまう。もしくは一部分だけ突然現れる。ここでもビリーに責任能力が問われます。
証言の正当性か、精神疾患に対する難しさをあらわしています。
私は、一度解離性人格障害と診断されましたがビリー・ミリガンの書籍は読んでも納得できませんでした。主治医に「全部、その場にいた他人を模倣して人格としているけれど、ビリーが見ていた記憶が人格として残っているだけじゃないか」と話したところ自分で理解できそうだから、とほかの本を勧められ自主的に解離の治療はしました。
※主治医の許可で読ませてもらっていた(家は治療できるような場所ではないので)
人格の統合というより、人格は、トラウマをうけたとき周りにいた人物の記憶です。
なんとなくですがビリーが一番、恐怖を持ったのは「エイプリル」という人格であり、おそらくビリーの一番近くにいた実在する人間でしょう。
私は、自己理解で多重人格というものでなく、模倣の一種だと判断したので「姉の真似」をしていることに自分で気づきました。
姉のようにふるまえば、対象者の機嫌を損ねることはないのだと…。
証言者の尊厳を奪った結果
証言者の真実性を疑い、自信を損なわせてしまった結果、冤罪が生まれることとなりました。
解離や若年性痴呆症をかかえると自分の記憶に自信が持てなくなり、自分自身も揺らいでいきます。人にバウンダリーを侵略されるのです。
今回のラストは素晴らしいラストでした。尊厳を守ることの大切さが身に染みてわかりました。