あがなわれるもの

読書と映画と日記

天使の顔をして悪魔はやってくる

沈黙とともに、訪れる冷や汗に私は息をのみました。
インスタグラムはたまにはみますが、だいぶスピリチュアルな体験への敷居が低くなったと感じます。


「スピリチュアル」は、英語の"spiritual"に由来し、精神的なもの、霊的なもの、または物質的なものにとらわれず、目に見えないエネルギーや高次元の存在、精神世界に関連する概念
 

とありますように日本人にはぴったりなものではあると思います。物を大事にする日本人は物に何かが宿るという考えが根付いていますから。
また、日本人になじみにくい西洋哲学との橋掛けのように精神世界のことを深く考えるきっかけにはなります。
癒しを求める人々がそれほど多いのでしょう。

確かに苦しみの中にいる人には一部助けにはなりますが、スピリチュアルに共感だけはできません。
というのは、「スピリチュアルマウント」というような現象によく遭遇するからです。「もっと高次元に行かなきゃだめよ~」そしたらもっと楽になれるわよ~。


そういった考えというのはなぜかなじみませんでした。もともと年齢の割に古臭い考え方をするものですから、次元などはわかりませんが、「形而下」で「その次元を説明してくれませんか?」

そして「形而上」ではなんというのですか?なんて意地悪を言いたくなります。

 

私自身、心の傷があるものですから自ら苦しみの道に行っている、等と言われると傷つきますし悲しみもします。


ただ、私が瞑想を一人で行うと決めているのには理由があります。
そして半眼で行うことにしています。

 

それは、瞑想はPTSDやトラウマ、精神疾患など重度のうつ病統合失調症などの方には推奨されていません。


昔から、神託を行う時は女性が主でした。それには瞑想でトランス状態に入りやすい感受性の高さもあったのかもしれません。
また、ブードゥー儀式では女性が生贄の動物を食べて神託を受けるなどという行為もありました。現在では口にくわえる程度ですが。
儀式を行うために阿片などが使われた過去もあります。

高次元に行くことであなたはなにがしたいのか?ということです。

残念ながら、私たちはただの塵芥。使命や存在意義はありません。


無明の中を歩いていくだけです。

世界を救うために生まれたわけでもありません。

身の回りのものに感謝をして生きていくだけしかできない生き物です。
占い師を副業としてしているからこそ、現実主義な占術なので甘い言葉をかけることもできません。
お客様の都合の良い言葉をかけてお金を儲けることもできませんし、不安にさせることもできません。
愛や光、といったここちよい言葉はときには人をいやしますが一握の砂にすぎません。人間の根本の苦しみはいまだ終わっていません。

残酷なことを言うようですが、生れてきて生きてきたことそのものが苦しみでありそのなかに幸福を見出すだけでありそれ以外の理由はありません。


あなたは救世主ではない。

あなたは世界を救うために生まれてきたわけではない。

あなたの人生に“使命”があるとしたら、それは他人が決めることではない。


けれどもし、それを受け入れられない夜がきたなら。
あなたのもとに、メフィストが現れるかもしれない。

「おまえは神に選ばれた存在らしい。もっと知りたくないか?人の役に立ち、世界を救うために──」

──天使の顔をして、悪魔はやってくる。